神との対話3 第十一章 ひとを傷つけるような言動も すべて理解し愛し 許していた
ひとを傷つけるような言動も
すべて理解し愛し
許していた
魂はすべて愛しかない
それなのに
他人を傷つけるということは
そこには深い意味がある
それは、子供や他人に
相対性の経験をされるため
(解かり易く言うと「半面教師」
に近いです)
それを知っていたから
見抜いていたから、愛し
許していた
ということです
魂には、神には
愛しかないのです
その愛が愛でない行為をする
ということは
そこに深い深い意味あるのです
その人のうわべだけだはなく
その内側を視ることが
どれだけできるか?
そして
どれだけできていたでしょうか?
あなたの目の前の嫌な人にも
深い深い意味があり
あなたの目の前にあらわれて
いるのです
その意味を理解できていますか?
「手愛手」
「どうし」が つどう そら(時空)
「同志」=同じ志し
「同師」=同じ師の基で
「同仕」=同じように使える
「神との対話」より得た気づきを
書籍にしてまとめております
みなさんの気づきのうながしになれば
幸いです
ワンネスの杜
自分がやりたいことを実現させていきます